Share Studyの思想入門―入門学術ポータルサイトβとしての永遠の未完的試み

Share Studyは「人」を中心にしつつも、学術的な情報をまとめたり、各学問分野の基礎的なフィロソフィーなどをまとめるために立ち上げました。どもども、代表&編集長のとしちる@ture_tiru)です。

Share Studyは、僕が勝手に立ち上げたという経緯もあることから、「β」とロゴにも付し、大胆不敵に「学問」を語るという上でもある意味での永遠に不可能な試みでもあります。僕が専門として学ぶディスコース研究(広義の社会文化コミュニケーション論とも言いかえられるでしょう)もShare Studyの理念や運営に関係しています。

それはさておき、本記事では『Share Study』というWebメディアとはいったいなんなのかについて、基本的なコンセプトについてまとめます。

Share Study

入門学術ポータルサイトβ

Share Studyはざっくりとは「高校生や大学生」を主な読者として想定し運営する入門学術ポータルサイトです。言うなれば、「科目」から「学問」を学んでいく学生を対象に、「大学ってそもそもどんな場所なのか」「学問を学び、研究することにはどんな意義があるのか」といったことを中心に情報を編集し、発信しています。

単に「知識」であれば、当然、これまで論文として残っているものがありますし、書籍も山程あります。大学には先生がいますし、友人や知人に先輩後輩が入れ替わり立ち替わり、交流できるようになっています。

ですが、僕が大学生活を送る中では、場所はあっても「人」と「知」がうまく交わっているようには見えませんでした。そんな問題意識を漠然と抱える中で生み出したのがこの『Share Study』です。自分のいる大学を飛び出して47都道府県を見て周ってもきました。

そんなこれまでの知識や経験、なんであれば「価値観」をも時に前に出して、人の<声>が重なるような場になるようにShare Studyを運営しようと心がけています。

メインテーマ

大きく二つのテーマを掲げてShare Studyは運営されています。

  1. あそび、ゆらぎ、むすび―ひらき、つなぎ
  2. 人からはじまる学問の見える化

あそび、ゆらぎ、むすび、ひらき、つなぎ

単にひらがなが散らばっているように見えるかもしれません。一つ一つ語りだすとキリがない(まとめきれていない)ので簡単にまとめますと、この「あそび、ゆらぎ、むすび」というのは<自己>が、「ひらき、つなぎ」には<他者>が関わる概念として用いています。

コミュニケーションというのはどこまでも厳密には意味が決定しきれない、どこか解釈を必要とするものだと言えます。かつて反哲学を抱えて哲学を展開したウィトゲンシュタインという哲学者は前期では「論理」を駆使して「語り得ぬものは沈黙せねばならない」ということばを残しました。ですが、後期のウィトゲンシュタインは子どもたちの遊んでいる姿を見る中で、「言語ゲーム」という概念を考えついたと聞きます。

このように、「あそび」には哲学的な知見が潜んでいますし、人類を表す「ホモ・ルーデンス」は「あそぶ人」という意味があります。しかし、そんな「あそび」を持つ人は「ゆらぎ」を味わいます。「あそび」には余白といった意味が日本語にはありますが、そんな余白があれば当然、さまざまに揺れ動くことでしょう。科学用語には「複雑系」という概念があります。これはバタフライ効果といって「南アメリカで蝶が羽ばたいたら北アメリカでトルネードが起こった」というように、ほんの小さな出来事にも何か大きな出来事へと複雑な関係があることを指します。

あそんで、ゆらぐ中で雲散霧消してしまうのではなく、とりわけ学問においてはどこかで「むすび」があることが重要です。確かに、あまりにもセカイは広大で未知に未知満ちているわけですが、まったくもって「分からない」わけではありません。人が問いを持って、研究することで少しでも「分かる」ようになってきているからです。個々の人には限界がありつつも、これまで積み重ねられてきたものの中で、”今ここ”で僕らはコミュニケーションを紡いでいるというわけです。

「あそび、ゆらぎ、むすび」が<自己>において展開されているものだとすれば、「ひらき、つなぎ」はそんな<自己>の中にも<他者>との関係があることを指しているというわけです。「自己」として定立しつつも、「他者」に向けて「ひらき」、また「つなぎ」を結んでいく。つまり、Share Studyでは、そんなこれまでと今とこれからを学び、見据えて、<自己>と<他者>の視点が行き来するようなあり方を目指しているというわけです。

人からはじまる学問の見える化

「<自己>:あそび、ゆらぎ、むすび―ひらき、つなぎ:<他者>」が学び合いの中で展開されることは、あくまでも「人」を中心に学問を捉え、さらに単に抽象的で専門的な知識ではなく「人」から「学問」の有様が浮かび上がらせることがShare Studyの取り組みです。

具体的には、単に情報発信をするのではなく、インタビュー記事を基点にしつつ、「Share Studies」という「人と知のネットワーク化プロジェクト」を通して記事の執筆を半オープン化し、かつ「ポートフォリオ」などで情報がまとまっていること、オフラインにおけるイベント等を通しての多世代間交流(ACADEMIC PARTYACADEMIC CAMP)を行っています。

永遠の未完にならざるをえない「学び合い文化の熟成」という課題

ですが、そんな学問の有様、言うなれば「過程」を捉えるということは、批判的にも検討し続けるという意味で、「永遠の未完」にならざるをえません。ですから、Share Studyが目指すのは「正しさ」を発信するというよりも、あくまでも「学び合いの文化を熟成」することにあります。

時に”情熱”を入れ込んで活性化させる

「文化」としているのは、単に「社会を変える」といったものではなく、どちらかと言えばもっと射程距離を長く見据えて、習慣や無意識のレベルにまで落とし込むことを目指していきたいからです。

ですが、そこに単なる距離を置くだけの「冷静」なまなざしだけでは、人の<声>を重ね、つなぐこことは難しいでしょう。時に「冷徹」にもなりつつ、時に自らの身体を持って「情熱」を注ぎこむこともShare Studyでは重視しています。

時に”冷静”なまなざしで深化させる

「情熱」を表し、発言や行為としての影響を与え合う関係も大事ですが、一方で「冷静」なまなざしをないがしろにしてはいけません。声が大きいから「正しい」とか「良い」とは限らないからです。時に、膨れ上がった自己の声は無自覚な欲望として他者を捨象してしまいます。

また、根本的に知識を学び、整理し、考えるということは単に「情熱」だけでは深みに到達することを阻害することもあります。批判的な検討あってこそ、その内実を強固なものにすることができるのではないでしょうか?

おわりに

上記で書いたことは、いわば「走り書き」のようなもので、それこそ「深み」には到達していません。今後、継続的にShare Studyを運営しつつ、サイトを立ち上げた僕自身も学びをし続けていきたいと思います。

しかし、一貫しているのは「あそび、ゆらぎ、むすび、ひらき、つなぎ」であり、言うなれば「まじめにふまじめに、ふまじめにまじめに」学びを深め、たとえめんどくさくてもことばを交わし、学び合いの文化を熟成させていくことです。

それだけはShare Studyを運営する上での根幹に持ち、活動を行っています。

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