立ち上げにおける現状認識1―文系軽視

まず、「文系軽視」が進んでいるという現状を「言葉による分節化の問題」と「政治と学問の関係」から説明します。

2016年4月の立ち上げ当初における現状認識です。2017年度中の現状認識も更新予定です。

文系学問が軽視されがちな社会情勢

「文系学問は将来の役に立たないから不安だ。」時おり学生からこのような声を聞きます。しかし、ここで「文系」とひとくくりしてしまうにはあまりにも雑でしょう。そもそも文系とはいったいどこからどこまでを指して話されているのか曖昧です。例えば、経済学は文系なのでしょうか?理系なのでしょうか?一定の区切り(数学を基礎に用いた理数系が苦手 etc.)は確かにあります。しかし、それだけで「文系は将来において職を得るのは難しいことや理系に進めば安心だ」という価値判断をくだしてしまうことには違和感をもたざるを得ません。仮にこの区分を人文学、人文科学、社会科学、自然科学、形式科学、応用科学、情報科学と分けたところで大変大ざっぱな区切りをしているに過ぎません。また、人文学の中でも哲学や文学があり、またそれら領域はさらに突き詰めれば、個別具体的な領域や研究対象が存在します。そして、哲学といった学問は実学とは対照的に虚学などと呼ばれることもありますが、上記に挙げたような研究領域もこれら基礎的理論を前提として成り立っています。つまり、これら学問を分けてそれぞれの価値判断を下してしまうのは早計だと言われてもしかたないでしょう。

文系や理系と分けてしまうことだけに陥るのは大変もったいない思考ではないでしょうか。ここで起きている問題をひとえに切り取ってしまうこと自体も問題なのですが、大ざっぱには「複雑な世界をことばで切り取り、単純化(モデル化)することで学問は専門化と細分化を繰り返してきたが、そうした営みが複雑な事象を単純化して捉える風潮を生み出す要因となっている。」のではないかと考えています。

そもそも学問は理論化(モデル化)を行うために、研究対象に基づいた前提を持っています。それらは異分野同士に関わらず同分野でも対立する要因にもなっています。もちろん、そうした差異は生まれて当然です。そのため、学問というものは初めから真実性を持った「正しさ」があるのではなく、あくまで仮説と検証の繰り返しにてそれを追い求める「行為」でしかないと考えています。それは対話を前提とした「批判」をすることです。ですが、そもそも世界は複雑なものです。一分野だけの理論ですべてを把握することは今やできないという見解がほとんどです。

そこで、こうした学問間の壁、すなわち言葉の壁を乗り越えようとする、つまり正しい認識に近づこうとする行為こそが本来の「学問」だということを伝えるメディアとしてこの『Share Study』を考案しました。これは一種のカウンターパンチであり、必ずしもこの認識が正しいとは限りません。しかし、このメディアではこの前提に立ちながらの情報発信をしていきたいと思います。

政治的な問題として存在する学問と社会の関係

次に「財政的な問題」、「即効性の問題」、「需要の問題」という3つの側面を軸に、学問と社会における関係から文系軽視が進みがちな点を述べたいと思います。

財政的な問題

学問を行う機関としての大学は(大学に限らずですが)基本的に政府や企業からの支援金によって成り立っています。比較的、実学的な理系分野ではかかる費用の規模や直接的な技術提供を行い、新たな商品や技術、システムの開発を援助できる関係にあるため、財源の確保を行いやすいという環境にあります。当然、分野や個別具体的な研究によりけりですし、上手くいかない分野もあります。が、ここでは「言葉の問題」として挙げた文系と理系という区別に基づいた話をしています。また、本来はきちんとした統計的データを提示する必要があります。時間的な制約上、今回では一般論的な話と論者による仮説にとどめておきたいと思います。

文系と理系の間に財源の差があるからといって、政府や企業としても捻出できる財源には限度があります。いくら文系や理系に価値判断をしてしまうことに問題があるとはいえ、取捨選択は避けられません。これは、行政の規模だけでなく、個々人のキャリア形成の選択においても同じことが当てはめられます。以上から、どうしても財源分布は偏らざるを得ないと言えます。

即効性の問題

文系・理系に関わらず基礎学問は応用学問を根幹づけるものであり重要であることはこれまで述べてきた通りですが、必ずしも研究成果が出るとは限りません。大まかに分けた文系と理系における学術的な成果は、理系分野は社会に還元されやすく理解もされやすい傾向にありますが、一方、文系分野はエビデンスや社会の複雑性を描くものとしては表だって理解されることは難しいと言えます。ですが、文系分野は理系分野を含めた「人間的活動」を包括したものであり(逆もまた然りであることをこの先にて述べます)、重要性がないわけではないことは確かです。

需要の問題

これまで述べてきたように「学問」として考えた時に、文系や理系といった区別によって価値判断がなされてしまうことはいささか早計だと言わざると負えません。ですが、生きるために学問は果たして必要かと言われればその必要性は「金銭」的な価値と比べれば落ちると判断を下すことも出来ます。お金を生み出すものとして「経済」「金融」「工学」などといった実学的なものは研究を維持するための需要と供給の関係を描き、政府からの供給や一般からの需要を生み出すシステムを作りやすいでしょう。文系学問でそうした価値を生み出すことは現状としては難しく、娯楽といった領域にとどまってしまう傾向にあります1)娯楽であっていいとは思いますが、もし社会において学問の価値を持続するには娯楽だけでは済まないという側面があることもまた事実だと考えています。。文系学問では、政治・宗教(思想)的な対立を生みだし日々ニュースにてそういった現状が報道され目に触れることを鑑みると、むしろ価値を阻害する要因の方が目立つでしょう。

References   [ + ]

1. 娯楽であっていいとは思いますが、もし社会において学問の価値を持続するには娯楽だけでは済まないという側面があることもまた事実だと考えています。